縁起

当山は「開会山妙関寺」と号します。山号の「開会」は天台三部経の言葉で「門戸を開いて真実に出会う」という意味があり、すなわち、当山の山門をくぐった者は、釈尊最高の経典である法華経の教え、法華経の行者である日蓮聖人の教えに触れることが出来る、という意味になります。日蓮宗総本山である山梨県の身延山久遠寺の総門の名称「開会関」に由来すると伝わります。

白河に日蓮宗が入ったのは、江戸時代中期の1692年、出羽より松平大和守直矩が白河藩主として移封した折、その母である永寿院の菩提寺である「永寿寺」が当地へ移転してきた事によります。

しかし、直矩の孫である義知の代に松平大和守家は姫路に転封となり、永寿寺もこれに伴い姫路に移転することになります。時に永寿寺第4世の貞明院日総上人(後に身延山久遠寺39世)は白河の地より法華経の灯が途絶えることを憂いて、一人当地へ留まり、新たな藩主である松平越中守定賢に請い、永寿寺の跡地へ新たに一ケ寺を建立、寺名を「妙関寺」と号しました。1741年(寛保元年)の事でした。

当山4世の大寿院日定上人は、中御門天皇の御落胤と伝わります。境内には、市の天然記念物の乙姫桜の他、齢151歳まで存命したと云われる林利左エ門の墓などがあります。現在の本堂は明治時代初期の建立です。