妙関寺

宗旨・年中行事

宗 旨

今から2400年以上の昔、お釈迦さまはインドのガンジスの畔で悟りを開かれ、人々に世の真理と仏になるための道を説かれました。

お釈迦さま入滅後、弟子たちはその教えを文字として書き残し、長い年月を掛けて幾重にもまとめ、経典(お経)が出来上がりました。

それらは天竺、唐、朝鮮を経て、日本に伝わりました。法華経(妙法蓮華経)はその中の一つです。

法華経によってお釈迦さまは永遠不滅の存在となり、法華経を信仰することで全ての人々が成仏出来るということが説き明かされました。

日蓮聖人は、多くの経典の中から法華経を第一に位置づけ、様々な苦難迫害にも臆することなく、その布教活動に邁進されました。

そして、法華経をどのように信仰するべきか追求し、「南無妙法蓮華経」(お題目)にたどり着きました。

お題目には法華経の功徳が集約されています。皆様も「南無妙法蓮華経」とお唱えしてみましょう。

縁起

当山は「開会山妙関寺」と号します。山号の「開会」は天台三部経の言葉で「門戸を開いて真実に出会う」という意味があり、すなわち、当山の山門をくぐった者は、釈尊最高の経典である法華経の教え、法華経の行者である日蓮聖人の教えに触れることが出来る、という意味になります。日蓮宗総本山である山梨県の身延山久遠寺の総門の名称「開会関」に由来すると伝わります。

白河に日蓮宗が入ったのは、江戸時代中期の1692年、出羽より松平大和守直矩が白河藩主として移封した折、その母である永寿院の菩提寺である「永寿寺」が当地へ移転してきた事によります。

しかし、直矩の孫である義知の代に松平大和守家は姫路に転封となり、永寿寺もこれに伴い姫路に移転することになります。時に永寿寺第4世の貞明院日総上人(後に身延山久遠寺39世)は白河の地より法華経の灯が途絶えることを憂いて、一人当地へ留まり、新たな藩主である松平越中守定賢に請い、永寿寺の跡地へ新たに一ケ寺を建立、寺名を「妙関寺」と号しました。1741年(寛保元年)の事でした。

当山4世の大寿院日定上人は、中御門天皇の御落胤と伝わります。境内には、市の天然記念物の乙姫桜の他、齢151歳まで存命したと云われる林利左エ門の墓などがあります。現在の本堂は明治時代初期の建立です。

年中行事

  • 春季彼岸施餓鬼会
  • 護持会総会
  • 釈尊降誕会
  • 盂蘭盆会
  • 秋季彼岸施餓鬼会
  • 宗祖報恩御会式
  • 除夜祝祷会
開會山

勧請諸尊・境内散策

勧請諸尊

境内散策

妙関寺

アクセス

〒961-0943 白河市金屋町116

車でお越しの方/東北道 白河ICから約10分

車でお越しの方/東北道 白河中央スマートICから約10分

電車でお越しの方/白河駅より徒歩約10分

住職の日記

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